理解、分解、再構築 最強の真理の扉理論

鋼の練金術士で出てくる理論 

「理解 分解 再構築 」これこそ心理の扉の答えなのではないだろうかと私は思ってしまう。

 

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理解  帰納 インプット  具体から抽象

分解  演繹 アウトプット 抽象から具体

再構築 帰納 インプット  具体から抽象

 

女性のくびれや、木の構造にも見えるこの図あらゆることに通じるのではないでしょうか。先行研究という具体例(水)たちを、分解して、抽象化して水素と酸素に分ける。

そしてそこからエネルギーに変換し、葉という具体例をまた作り出す。

私の勉強の考え方の一部でした。文章(先行研究)(具体例)を読めるのも大事ですけど、自分でいったん咀嚼して分解できる『要約』の能力(抽象化)がとても重要で、その後に再構築することで、自分の意見が作れるのではないだろうか。

これを高速で行うことこそ金を生み出す錬金術ではないだろうか。

だからグラトニーの腹の真理の扉の入り口(理解)から入り、異空間(分解)を経て、錬金術によりもとの世界(再構築)に出てこれたのだろうと思うし、分解(真理)を捨てることで、理解を捨ててもとの体に戻れたのではないだろうか。これが私が考える真理だ。

 

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私が勝手に考える用語解説 【計算機的自然[デジタルネイチャー]】

 言葉で切り取ってしまった瞬間に、あらゆる壁(=境界線)がたちあらわれる。問題はいつも境界線上で起きる。(「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」)

 

 しかし、あらゆるものの境界線など、実は無く、境界線があっても人によって様々(多様性、ダイバーシティ)であり、世界はグラデーションのあるものなので、ここから緑でここから黄緑色という境界線を簡単に引けるものではない。境界線を引いたとしてもそれは、人によっては、えっ、これ黄緑ってカテゴリーに入ってるけど緑でしょ?みたいなことになる。

 

 人間は、何かを理解したり、理解したつもりになるために、カテゴリーにいれたり、二項対立を作ったりしたがるのだが、実はそういったことをするからマイノリティが生まれてきてしまうのだ。

 

 男女という二項対立を導入してしまうと、セクシャルマイノリティが現れ、浪人と現役という区分をすると、浪人がマイノリティとして扱われる。

 

 だが、より大きなカテゴリー、黄緑と黄色ならどちらも色というカテゴリーに入るし、男女なら人間というカテゴリーに入る。浪人と現役なら同じ大学生というカテゴリーに入る。つまり、境界線の引き方で認識が変わってしまうのだ。これは人種や障害者の扱いにも当てはまる。これらがみんなに理解されれば、お互いの個性、多様性を認め合うことができるのだ。

 そうした文脈、コンテクストの中で、生物(自然)と機械の境界線を溶かそうというのが、計算機的自然(デジタルネイチャー)という、落合陽一が提唱する新しい時代を作る概念だ

 だから彼は機械で蝶の動きを再現してみせたり、画面を木の材質に変えてみたり、鯖の皮の表面をプリントで再現してみたりするメディアアートという作品達を作りだすのである。その媒体、アートを見た鑑賞者は、機械と生物(自然)との境界線の融解に価値観を揺さぶられるのだ。

 渋谷で6月中まで、彼の作品の個展が、無料で公開されている。そこにあなたが実際に足を運び、生で、liveで、それを見るかは、あなたの多動力(堀江貴文が提唱)にかかっている。
ちなみに、私は見に行けてない。行きたい。きっとエモい(いとおかし=何か感情が揺り動かされる。)

 

 テクネフォビア(技術嫌悪)は、アーリーアダプター(早期受容者=新しい技術にすぐに飛びつき受けいれる人々=能動的)と、レイトマジョリティ(遅い受容者、大衆、大多数=受動的)かによって大きく違う。

 

 しかし、iPhoneを例にスティーブ・ジョブスの凄さを語れば、嘘が上手いということになる。彼は、小さなパソコンを、さも携帯電話であるかのように、iPhoneを売りだした。その結果、本来レイトマジョリティであるはずの大衆が小さなパソコンをもち、常時ネットに繋がる端末をたくさんの人が持つことが、普通となる世界を作りあげたのだ。これは、大きな価値観の転換である。 そして、その大きな価値観の転換で起きたのは、みんなそれぞれが自分の端末で、それぞれに違うことをしているというダイバーシティの到来だ。

 

 同じiPhoneでも、その使い方は様々だ。ゲーム機として使おうが、カメラとして使おうが、メモ帳として使おうが、youtube視聴機として使おうが、それは個人の個性と感受性とそれに赴くままだ。しかし、そうなった世界でこそ、他者理解が重要となる。

 

 しかも、その先はさらに細分化していく、なぜなら、youtubeで何の動画を見るかも、個人の個性と感受性とそれに赴くままだ。

 

 つまり、育って来た環境も、考え方も、影響を受けたものも全て、かなり、多様化したなかで、他人を受けいれるには、自分と他者の境界線を強く引くことである。

 

 自分は何が好きで、何が嫌いで、その理由はこうで、こういう自分史があるのだと、他者とたくさんの言葉を尽くし、語り合い、自分は他人とは違うんだ、(もちろん、それは自分が上とか、下とか、勝ちとか負けとかの優劣ではない。)という認識が大事になるのだと私は思う。

一講義の価値

大学一年のときに書いた文章を載せてみます。

考え過ぎですね。一つも思い通りには行きませんでした。

 

1講義あたりの価値

 

初年度 年間(文学部、文学科)1,201,000円 (-入学金283,000=次年度918,000)

年間制限単位 48単位=24講義(基本1講義2単位という計算)

1,201,000÷24=1講義 約50,041円  918,000÷24=1講義 約38,250円

1講義 15回

50,041÷15=約3,336円(90分)   38,250÷15=約2,550円(90分)

時給1,000のアルバイト90分=1,500円

 

※実際には設備費も含まれているし、教職の授業を取っていて年間48単位以上履修していればその分割安。

※浪人した費用が上乗せ

 

1講義の費用(90分)>時給1,000のアルバイト(90分)

 

以上のことを鑑みると、寝たり、スマホをいじったり、休んだりなど言語道断。

約2,000円の価値あるものを90分で得るのは難しいが、それ相応の得るものがなければならない。

 また、高卒の人よりも高い学歴がつくというのは、大学でそれ相応の勉強をしているがためであり、勉強しないのであれば高卒で一生懸命に働く人たちに失礼である。勉強しに大学に来ているのだから、勉強をしないのであれば大学を辞めるべきだ。

また、教員になるのであれば、国語科全てに対してすべての講義が大切である。難関大学に行っている人にも国語科の知識では勝つつもりでなければならない

削除覚悟、あなたの時間を有効活用するための、インターネット豆知識、Youtube編1

はじめまして、今日のこの記事のテーマ

皆さん!こんにちは、バーチャルツイッタラーことメイス・バンドゥーです。(肩書を勝手に今日、今さっき作りました。)

皆さんは、普段からYoutubeは見ますか?私は、かなり見ます。ただ、人と見ている動画がだいぶ違うようで、人とは全く会話が、噛み合いません。トホホ…

 

私が普段どんな動画を見ているかもいつか記事にできたらなぁ…なんて…なん…て…て…て…

 

そんな、あなたのYoutube生活を快適にする豆知識を今日は、ご紹介していきたいと思います。その豆知識とは、な、な、なんと…広告を見ない方法です!!

(ああ、バーチャルツイッタラー、一発目の記事からヤバいよ、広告代理店からもグーグルからも目を付けられるよ〜、消され〜、っ「死んだら地獄に落として欲しい、どこへいくのか、どこへいくのか…」♪ブルーハーツですね)

 

前置き

[ブラウザってなぁに?]

[ブラウザって、検索エンジンと何がちゃうねん?]

[このメディアの方針とお願い]

本題

[広告を見ないための手順] 

[終わりに]

 

 

 

「ブラウザ」ってなぁに?

まずは、「ブラウザ」(Browser、拾い読み)って皆さんご存知ですよね?ん?わからない?初歩から説明しますか?わかるはボケって方は、飛ばしてくださいね。ブラウザって、言うのはですね、Internet Explorer(インターネットの開拓者)とか、Fire Fox(火狐)とか、Google Chrome(だめだ、わからん調べねば…)とか、あとスマートフォン(smart phone 和製英語、海外では通用しません。celler phone(cell=細胞=小さな部屋) または(or)mobile phone、iphone用のブラウザだと、iPhoneユーザーは、safari(サファリ)とか聞きませんか?Andoroid(and dorid=+ドロイド=人間を手伝うロボット)携帯(電話)は私触ったことが無いのでそれに相当(対応)するのが何かはちょっとわからないですが、(わかる方はコメントで教えてくださいね)、それらがブラウザです。

「ブラウザ」と「検索エンジン」って何がちゃうねん?

ん?Yahoo(やほー)や、Google(大先生)はなんなのかって?良い質問ですね。それは、検索エンジン(sarch engine)と呼ばれるもので、それらは、それぞれ、別のアルゴリズムに従って、検索(サーチ、sarch)をかけて、わたしたちに普段情報(インフォメーション、innformeaition)を提供してくれていますよね。それは、ブログ(Blog)のアクセスaccess(ナンバー、number)を上げるためには、そのアルゴリズムalgorithm))を知らなければならないのですが、それはまた別の機会にでも…

(私に記憶が残っている限り、記事書いてここにリンク(link、繋げる)を貼りに来ようと思いますが…忘れてんなコイツと思ったら110番…ではなく、コメント欄に「はよ、書けや」と催促してください。ここは、「双方向コミュニケーションメディア」を目指しますから)

このメディアの方針とお願い

とまぁ、お前は前置きが長いって?ごめんなさい。でも、パソコン(parsonal computer、個人機械)初心者にでもよくわかるような、機械音痴を置いていかないで、みんなで一緒に成長できるような、そんな優しい「メディア(media、媒体)」を目指したいと思っておりますので、イライラせずに、お付き合いいただけたらなと思っております。私、昔、国語の中学校の教員になりたくてですね、結構頑張ったんですけどどうやら要領が悪くて…だから、人にわかりやす〜く伝える。教育(エデュケーション、educaitionするって、ことに大変興味があるんですね。上から目線ですみません。自分が勉強(スタディ、sutudy)したことを、人(ヒューマン、humanにもわかる形に、アウトプット(out put、出す?)して、シェア共有、share)して、よりよい社会(ソサイエティ、society)になるように貢献(コントリビューション、contribution)したいと思っています。よろしくお願いします。

(完全に余談ですが、「ソウルソサエティ」って、「魂社会」ですからね、ダサいですよね。うふふ。日本語に訳しちゃいけないものってありますよね。でも、こうやって自分の興味にヒモづけて覚えると、知識ってパッと、取り出せますよね。『BLEACH』ファンの方、ごめんなさい。バカにしてるつもりはないんですよ。普段から、頭の中で、カタカナ語と英語で何ていうんだっけって考えるだけで、全然、学力って、変わるよねってのが自論なんです。語学は日頃の努力ですから。)

広告を見ないための手順

  1. と、まぁ、やっと前置きが終わりました。本題です。どうやって、Youtube(ユーチューブ、あなた+動画)で広告を見ないで、動画(movie)を再生(プレイ、play)するのか…。それでは順序(オーダー、oreder)を追って説明(エクスプラネーション、explanaitonしていきたいと思いますね。
  2. まずは、Google Chrome という、「ブラウザ」をダウンロードしなければなりません。普段お使いの「ブラウザ」で、検索エンジンを開いてください。大体の人は「ホームページ」(home page)に設定してあるとは思いますが…。
  3. 次に、検索エンジン(普段お使いのもので構いません。)で、「Google Crome 拡張機能」と検索してみてください。Google Cromeと拡張機能の間は、必ずスペースを開けてくださいよ、検索するときは、単語をスペースを開けて打った方が、検索にヒットする件数が飛躍的に上がります。別記事にしたほうがいいか。「検索の極意」とかね、はははっ。『ハンター×ハンター』って面白いですよね。でも、「仕事しろ」は禁句ですからね。このメディアでは。)
  4. そうすると、Chrome ウェブストア」ってのが、見れるかと思うんですよ。そこをダブルクリック(マウスを二回カチカチって、これも記事いるな…)です。(ちょっと疲れたんで、ルー大柴的な日本語↔英語変換は、もう自分の頭の中でやってくださいね…常に。)
  5. 検索する窓があると思うので、そこに「アドブロック(ad+block=広告、妨害)」ってタイピングして(type+ing=打って)ください。
  6. そうすると、こんなん出てきましたか?

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  7. そうしたらですね、それをダウンロードしちゃってください。
  8. ダウンロードするとですね、Google Chromeを開くと、右上にこんなん出てませんかね。

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  9. この「ABP」ってヤツを、押すと、

    f:id:bluewakame:20180507102543p:plainこんなんでませんか?

  10. これが設定で、各ウェブページごとに、広告を表示するかしないかを設定できてしまうんですね。(ふふひ、悪い笑い)
  11. そして、信じられないことにですね、Googleが運営しているYoutubeが、Googleの出しているGoogle Chrome拡張機能で、広告を消してしまえるんですね。(おいおい、Googleさんあんたら、あのYoutubeの広告でお金儲けてんとちゃいますの?消していいんでスカ?いいんですよね、論理的に。それともバカどもには、こんなプログラマー的な知識がないと、できないことだから大丈夫だろ。俺らが使うだけだからってか?人をバカにしてんにも程があんだろーが。胸糞悪っ。あっ、ごめんなさい。正確悪い、ダークサイドバンドウが出てしまいました。これで、エロ動画見るときも安心、安全信頼のアドブロック。いや、あれですよ、み、み、見ないですよえぇ。)
  12. これを知ったあなたは、もう広告なんて見れない!!浮いた時間で…何する?

終わりに

こうやって、私はダークサイドウェブについて、日々研究と精進を重ねに重ね。物事の効率化を図って日々を楽しく、幸せに生きる努力を惜しみません。あなたもこんな風にインターネットライフを過ごしてみてはいかがでしょうか?バンドウからの一発目のご提案でした。

今後もこういったことを、できれば(私、もう、絶対、無理しナイんで!!)一日一本記事を書いていけたらなぁなんて、こんなことしてお金を稼げたらなぁなんて思ってますんでどうぞこのブログ購読お願ゲェします。

最後まで読んでくれたあなたが大好きです。

私が考える人の性質の順位

私が人の性質を考えるときに、人に好かれる性質の要素、観点が三つある。それは、優しさ、面白さ、真面目さである。

 

そして、それの優先順位は、優しさ、面白さ、真面目さの順だと思う。

ただ真面目なだけで、面白さや優しさがない人は人に好かれない気がする。

真面目さはかけていても、面白いでけでも人には好かれる。だから面白さは真面目さより順位が高い。

面白さもないし、真面目さもない奴けど優しい奴。いわゆるダメ男とかイメージするとなんかわかるけど。とにかく優しいやつってなんかそれだけで愛される気がする。ただ、面白いだけで、優しさがない奴は全ての人から好かれることはない。人をいじって笑いにするからだ。

真面目で優しい人は面白くなくても好かれるということもある。だからなんだか、少しじゃんけんのような関係のような気もするけど…

だから、私はなんだかこれを基準に大切にしていきたい。もちろん、全部もっているにこしたことはないのだけど。

私がいつも自分に聞ききたい、心を落ち着かせる三つの問

1.考えてどうにかなること?

過去の失敗について考えたり、将来の不安について考えることは実は考えてもしょうがない。

原因とは自分で勝手に決めることであるので、過去にあんなことをしていなければ今は…とか、あの時なんでこんなことしたんだろう…というのは本当にそれ原因であるかはわからないし、それが原因だと自分で思った途端に原因になるのだ。全ては自分の中の認識の問題でしかない。そして今のところタイムマシンは存在しない。相対性理論でも未来には行けても過去には戻れない。つまり、過去について考えたところで過去に戻ってやり直すということは絶対にできないのだから、考えるだけ無駄なのだ。過去の失敗については、次に同じことがあったときにはこうしようという改善策だけ立てて、それ以上は考えないのがいいのだ。反省だけして、引きづらない。反省と自己嫌悪は全くべつものであり、後者は無駄だ。

将来について考えるのは、大事だとされている。将来について考えてしっかり勉強しなさい、これをしなさい。未来はこうなるから今はこれをすべきだ。それはある意味では正しい。しかし、実際将来世界がどのようにあるかを完璧に予測することは不可能だ。明日、交通事故にあって死ぬかもしれないし、とっても素敵な人との出会いが偶然あるかもしれない。ある程度どのようになるかの推測は立てることができるが、未来がどうなるかはわからない。どうなるかについて考えるのは無駄だ。今やること、やるべきことに集中して、今を一生懸命生きて入れば未来は明るい。未来に対して完璧な予測をできないのに考え続けて不安になっていくのは意味がないし、考えてもしょうがない。

また、自分が他人にどう見られているか考えることも意味がない。なぜなら、テレパシーで相手の心の内が全部伝わってきたりしない限り、相手が本当に考えていることなんて本人以外には絶対にわからないからだ。人間は、感情と行動を別にできる。口ではなんでも言える。学校に生きたくないなぁと感情では思いながら、通学路を学校に向かって歩くという行動を行うことができる。だから外から見た時だけで相手が何を思っているかなんてわからない。ただ普通に学校に通っているように見える人も、本当は内心で通いたくないと思っているかもしれないのだ。それは外から見てもわからない。それは、周りの人間が自分をどういうふうに思っているかについても同じだ。だから、それを考えることに意味はない。

 

考えてもしょうがにないこと、考えてもどうしようもないことについては考えないのが賢いのだ。だから、いつも自分に問おう。それは考えてどうにかなること?と。

 

2.そう考えることって自分にとってメリットある?

自分のことを分析して、自分はバカだ。役に立たない。そう思うことはあるかもしれない。自分のことを客観的に見ることは大切だし、反省も大切だし、改善も大切だ。

しかし、自分の事を悪く思うということは果たして自分にとってメリットがあるのだろうか。もし、自分がバカだと思って生きるより、俺って天才!と思って生きるほうが自分にとって幸せに生きれるのならそう考えていたほうがいいのではないだろうか。(もちろん、それを外に口に出して言ったり、人を見下したりするのはいいことではないのだが…)

自分の無知・無能を知ることで向上心も生まれるし、自分を変えていけるのだが、それについて反省し改善していけるのならいいのだが、気分が落ち込んでうずくまってしまうだけの反省(それは自己嫌悪だが)なら意味はない。自分にとってメリットのある方に考えよう。

人が何を考えているか本当のところはわからないというのは上にも書いたし、考えてもしょうがないというのもある。しかし、それでも人から悪く思われてしまっているのではないかということについて考えてしまうときは、自分が人から悪く思われていると考えることで、人付き合いをさけてしまうのならそう考えることにメリットがあるのかを考えよう。(もちろん、相手がどう思っているかを考えないで自分勝手にしていい、優しさは持たなくていいということではないのだが、私みたいに考えすぎてしまう人はこう考えよう。)

だからいつも問おう。それをそう考えてしまうことに自分にとってメリットがあると?

デメリットがあるのならそう考えるのをやめてしまおう。

 

3.他人と比較することに意味あるの?

もちろん競争は成長にとってとても大切だ。だけど正直、私みたいなタイプには競争は向かない。周りを気にせず、自分で自分を高めていけばいいのだ。自分より凄いひとを見て劣等感を感じる必要はない。そういった人に負けないために、その人とは違う、自分の得意なことを伸ばしていけばいいのだ。

例えば、前は70点しか取れなかった模試で、80点取れるようになったらそれでいい。たとえ隣に95点を取っている人がいても落ち込む必要は全くない。自分が成長しているのだからそれでいい。これからも自分を高めていけば、きっと95点を取れる日もくるからだ。

学校で、テストの点数を比べることにも意味は全くないのだ。相対評価の時代ならともかく、絶対評価においては全く意味はない。クラスみんなが評価5だってありえる。たとえ平均点(平均はあくまで平均で中央値ではない)が60点だろうが、70点だろうが、それはある程度難しさを表すだけで、自分が100点を取れば間違いなく最高評定に近づくだろう。

受験も競争だという。確かにある程度定員が決まっていて、点数で競い合う。だけど、結局は自分が、そこに受かるだけの学力にまで自分を高められるかが重要なのであって、他人が何点取れるかは気にしてもそんなに意味があるだろうか。

しかも、競争って実は避けれる。誰もやっていないことを極めれば、そこで一位なんてことはいっぱいある。ギネス記録を見て欲しい。一体誰が他にこんなことに挑戦するのってことで世界一位な人がいっぱいいる。誰もやってないことをやれば競争なんてないのだ。(流石にギネス記録に対して失礼か…)

でも、比較することで気分を落ち込むならその考え方にメリットはない。心をストレスなく気持ちよく保ち、コツコツと自分のやるべきことに一生懸命取り組むことがいいのである。

私は人との比較は幸せになれないと思う。だから、いつも問おう。比較することは幸せ?意味があるのと。

SNSは魔物 私が思うSNSの嫌いなところと好きなところ

私は、SNSは使い方しだいであると思う。(何を当たり前のことを…)

そう、いつだって道具は使い方しだいだ。道具を使っているのか。道具に使われているのかわからなくなってしまってはダメだ。

しかし、意外と人間というのは道具に使われているのかもしれない。何もスマホやパソコンみたいな高度な道具になってから、人間が道具に使われているのではないかということではない。

例えば、筆を持って字を書こうという時に、人間はえんぴつとは違った動きを矯正されているという見方ができるのではないだろうか。このとき、人間は筆に使われているのかもしれない。

 

話が少し飛ぶかもしれないが、私の思うSNSの最大の嫌いなところは、それは自分よりも幸せな人生を送っている人の人生のモデルケースがたっっくさん見えてしまうことだ。私はものすごく落ち込んでしまう。(成功している人へのモデルケースへの嫉妬からか炎上なんてこともあるような気がする。それを見るとなんだか嫌な気分になる。)

ただ、実際にはSNSには自分の人生のいい部分を切り取って発信している部分が大いにあると思う。人間の承認欲求と見栄とそのた諸々の感情によって、自分のいい部分だけを見せる。SNSという道具の特性に使われている人間のすることが「インスタ映」みたいなことによーく表れているような気がしている。

いい人生をSNS上で演出して見せるために人間が行動するということだ。虚像を見せるために、承認を得るために。

もちろん、ありのままの自分をたくさん載せている人は、たっくさんいらっしゃるとは思うのだが…。この虚像の見せあいみたいなものがときたま嫌になるときがある。

 

SNSの嫌なところは書いたが、好きなところも書かなければなるまい。(この場合のSNSTwitterになるのだが、)私が思うのは、優秀な人間、有益な情報をつぶやく人間、高度なよくわからない人間、自分の興味のある好きなことをやる人間をフォローすることで、タイムラインが自分だけのカスタムメディアみたいにできることになることだと思う。またその人のリプライ蘭には当然反論や議論が起こっていて、自分とは反対の意見を知ることもできる。

これがとってもSNSの好きなところである。趣味垢と呼ばれるものを作ってネット上で趣味を共有して、仲間を作っている人もたくさんいるのもそれだろう。

 

SNSという道具は魔物だ。使い方しだいで気分を悪くするものから、良くするものに変化する。魔物との付き合い方は、慎重にいきたいものだ。