政治を少し変えるには…

政治を変えるにはまずやっぱり国民の役割、政治の監視をしなければなりません。

そして、やっぱりニュースや新聞などのメディア(媒体)を通すと誰かの見方、さらには切り取り方がやっぱり入ってきてしまいます。

学問研究などでもやっぱり、原典・原文にあたることは基本ですよね。

ではみなさん国会中継を観ましょう!!

インターネットでも、テレビでNHKでもを観ましょう。

国会中継の視聴率をバンバンあげましょう。国民はちゃんと政治を監視しているぞ!

それを国会の政治家に伝えましょう。そして、視聴率が取れれば、国民が国会中継を見るのば普通の状況になれば、スポンサーがついて、民法の夜のゴールデンタイムに国会中継の録画を流すようになったりなんかしちゃって…そんなこと絶対にないですね(笑)

でも、そのくらいのつもりで政治に興味ありまっせ〜ってやってかないといけないと思います。特に若い人が。どうせ年寄りの有権者の数と、若者の有権者の数がちがうんだから投票しても若者向けの政策をする人に票をいれても通らないじゃないかとなってはおしまいです。

18歳選挙が行われるときに給付型の奨学金の設置をマニュフェストに掲げた政党がありました。私はそれだけでも、選挙権の年齢を引き下げた意味があったなぁなんて思いました。だって、若者に、これから大学にいく高校三年生たちが投票権を得たってだけで、政党は票取りのために若者向けの政策もうちだしたのです。

でも、これに対して若者の投票率が低くては意味をなしません。

若者層が政治に興味があることさえ示せば、少しは若者を意識した政策がでるかも知りません。

さらには、国民が政治に関心がありまっせ〜と示せば、真に国民によりそった政策じゃないと政権はうちだせないな…となるかも知れません。

どの政党もなぁ… どうせ投票してもなぁ… 何か変わるのかなぁ…

そう思って、ニヒリズムに浸って、何もしなければ何も変わりません。

セカイがつまらないのではありません。セカイに対して、積極的に、主体的に関わらなければ、セカイはつまらなくなるのです。

何かから私も始めたいと思います。

Perfume替え歌

ふとした瞬間に私は思いつきました。頭の中をPerfumeの「ポリリズム」が頭の中に流れた時に、「繰り返す このポリリズム」の「ポリリズム」を「テロリズム」に置き換えたらとても深いのではないかと。(めっちゃ浅い発想)

検索したらすでに似たことを考えている人がいた。

bokete.jp

…でも私はつっぱしろうかなと思います。

 

とても大事な キミの想い(宗教)は

無駄にならない 世界は廻る

ほんの少しの 僕の気持ち(平和)も

巡り巡るよ

 

くり返す このテロリズム

あの衝動は まるで故意だね

くり返す いつか見たいな

あの光景が 甦るの

くり返す このテロリズム

あの反動が うそみたいだね

くり返す このポリループ

あぁドラスティック みなたいな故意だ

またくりかえす このテロリズム このテロリズム

 

くり返す このテロリズム このテロループ

 

ほんの少しの 僕の気持ち(平和)が

キミに伝わる そう信じてる

とても大事な 君の想い(宗教)は

無駄にならない 世界廻る

ほんの少しの 僕の(平和の)気持ちも

巡り巡るよ

 

くり返す このテロリズム

あの衝動は まるで故意だね

くり返す いつかみたいな

あの感動が 甦るの

くり返す このテロリズム

あの反動が うそみたいだね

くり返す テロループ

あぁドラスティック みたいな故意だね

またくり返す テロリズム

 

⇩参考

http://j-lyric.net/artist/a04cc66/l00b508.html

 

う〜ん。色々なところから怒られそう。

 

 

 

 

勉強の意義

私は、昔からなぜ勉強しなければならないかについて考えることは重要だと思っていた。そして、私は父親からの影響から、いい大学に行けば、将来の職業の選択肢が広がるからと考えて来た。勉強は将来稼ぐため、自分のためと。

私を壊した私立高校も大学によって生涯年収が違うというデータを示し、いわゆるMARCH(M=明治、A=青山、R=立教、C=中央、H=法政)の大学以上にいかなければならないと力説した。

勉強しないと大変だ。将来どうするんだ。そういった脅しの理論で周りの大人は勉強を強いた。

でも、人間自分のためだけに努力するには限界があるし、続かないし、それでは幸せにはなれないのだ。

そして、手遅れなことに大学に入ってからなぜ勉強しなければならないのかがわかった。

私の出会った素敵な大人は、真剣で、真面目にこうはっきりと言ってのけた。

「勉強するのは誰かの役に立つ人間になるためです」

私はもっと若いうちにこういう大人に出会いたかった。そしてこのことをとっくの昔に説いている人がいた。それはかつてブログに書いたように福沢諭吉だ。

bluewakame.hatenablog.com

生活のためにお金は必要だ。だから仕事が必要で学歴があったほうがいい。あるにこしたことはない。

でもそれだけではダメなのだ。

働くとはお金を稼ぐ行為であると同時にそれは社会貢献の一環でもあるのだ。働きながら人の役に立っているという実感を得られればそれは幸せだ。

そして、そんな仕事は長く続けられるのだろう。

そんなことを考えた1日であった。

 

 

 

ベタベタで甘々の恋愛小説だけど好き(ネタバレあり)

 

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 
君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 人間誰しも自分の存在を肯定してくれる恋人の存在を望んでいる…のではないだろうか?私だけだろうか。

フィクションの世界でただ自分に都合のいいヒロインを作り出して仕舞えばそれはただの男の独りよがりの妄想だ。(作者が男か知らないけど)草食系の冴えない男子が、活動で活発的で元気な女の子と急に仲良くなり変化していく、ボーイズミーツガール。散々やりつくされたこのてのライトノベルにありそうな展開。もしかしたら飽き飽きしているだろう。

まぁ、私はそういうベッタベタなの好きなんですけどね(笑)

この作品はそれに一捻りいれている。ヒロインが病気で近々死ぬとわかった状態で始まる。上に書いたようなボーイズミーツガールでヒロインが死ぬというと似たような感じで、私は「四月は君の嘘」を思い出した。(ちなみに、この小説を読んだ後にアニメ「四月は君の嘘」のOPでgoose house「光るなら」を聞くと胸熱。)

そして、「四月は君の嘘」と同じなら私はこの小説をこんなに評価しなかっただろう。

この小説の一番いいところは、ヒロインが結局病気と関係ないことで死ぬことにある。

人間はいつ死ぬのかわからないのだ。それは平等で変わらない事実なのだ。誰にでも明日があるとは限らないのだ。明日言おうじゃダメなのだ。

それをガツンと突きつけてくる。それがこの小説のいいところだ。

幻想民族問題小説

 

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

 

私は映画ではSFと言うジャンルのものをみることはあったのに、小説でSFは今まで読んでこなかった。さらには、海外の作家の作品に目を通すことも滅多になかった。名作と呼ばれるもので「老人と海」と「車輪の下」とかそういのだけだった。だから同時代に生きる海外作家の本を読むなんてことはなかった。

 ただ、この一冊を読んだ時に今までの読書ライフをだいぶ損をして生きてきたのだなということを痛感した。

 もちろん私が読んだのは日本語に翻訳されたものである。言語を完全に翻訳しきることは不可能だと私は思っているから、これが全てケン・リュウが書いたものそのままであるとは思わない。しかし、この翻訳者が大変優れているのだろうか。きっとこれがケン・リュウが書いたものだというように感じられたし、しかも英語ではなく、初めから日本語で書いたのではないかという感覚に陥った。

 幻想的な物語の中に民族の問題が息づいている。これは作者がおそらく小さい頃かから抱えていたものだからであろう。決して押し付けがましく「私が書きたいのは民族問題だ!!!」という印象は全く受けない。生活の中に民族問題が溶け込んでいる印象なのだ。私は日本で生まれ、日本人として育ってきた。他の民族ということを特に意識して生きてきたことはない。(もちろん、日本だってアイヌ琉球の民族を侵略し、在日中国人や在日韓国人を抱えているのだが)だから世界で起こっている移民問題をどこか遠くに感じてしまう。(日本は全然移民を受け入れない国であるからでもあるのだが)少しでもこの小説から受けた移民の問題の生活に溶け込んだ感覚を大切に心の隅に置いておきたいと思った。

生と性

AV女優の紗倉まなさんという方がAVを題材にした小説を書いた本がいいというので読んでみようと思って本屋に買いに行った。

 

最低。

最低。

 

 小説を書くのが上手だなぁと思いつつ、このひとはなぜAVという仕事についたのだろうと思った。

実は、書店に行った時にたまたま目に入って一緒に買った本がある。

 

AV出演を強要された彼女たち (ちくま新書1225)

AV出演を強要された彼女たち (ちくま新書1225)

 

 もちろん、すべての人が騙されて強制的に出ているわけでもないとの前提に立っている。でも、強制的にやらされたと同じような人がいる。これは負の側面だ。さらに、自分から応募した人でも思っていた内容や事前に言われた内容ではないことを断ることができない状況に追いやって、本人の意思と違うことをやらせるのも強姦と変わりない。

 

私は薄情な人間なので、出演することになってしまったのは、最初のAさんの事例以外は本人も悪いところはあるのではないかと思った。(これだとCさんに接した警察官と同じになってしまうのだろうか。)ただ、そういった人が救われなくていいと思ってはいない。こういった業界が成り立ってしまっているのは男の欲望でしかない。男として生きる私が無関心でいていい問題ではない。

 

紗倉まなさんの小説はこの新書の内容と符号している気がした。紗倉まなさんは天職だとし自分から望んでこの業界に入ったと色々なメディアで言っているようだが、小説を読んで受けた印象は、嫌々やっているのではないかということだった。それとも、この小説から読み取ることは別なのだろうか。

 

性とは「りっしんべん」に「生きる」つまり「心」+「生きる」である。人間の生と性の問題はは切り離せない。性的な営みからしか人は生まれてこない。

その性を売り物にすることはずいぶんと昔からやられてきた。需要は人類の歴史的に普遍的にある。映画もインターネットも初期の普及にはアダルト向けの性的なコンテンツの力もあったりする。

そして、往々にして性を売るのは女性だ。

男女平等と性差は別にして考えるべきだと思う。もちろん、職業が性別(男と女という二つの言葉で性別を切り取りのも限界がきていると思うが)によって差別されてはいけない。

(申し訳ないが、今回は身体的特徴が男性で性自認が男性の人を男、身体的特徴が女性で性自認が女性の人を女として話をさせてもらいます。)

しかし、身体的な特徴は仕方がない。一般的に、多くの場合は、男性の方が筋肉量が多い。だから、男性が重い荷物は持つものだ。これは、男女不平等ではなく性差だ。男女平等を認めつつ、性差は認めることが大事だ。私は、身体的特徴が性を売るのは女性の側にしていると思う。

この性差を考えた時に、この性差の性で起こることに無関心ではいられない。

 

女性の社会進出が遅れ、企業が女性の待遇を悪くするのもこの性差によるものだと思う。なぜなら、女性は出産と妊娠という仕事を休まなければいけない時期がくる可能性があるからだ。そうなると企業は男性を優先してとってしまう。単純に仕事に穴をあける人とそうでない人だったらどちらを採るかという話だ。

そして、それは女性の体しか子供を産まないという性差によるものである。

だから、私は子供の生まれた家庭の男性の育児休暇を義務化したらいいのではないかと思う。そうすれば、仕事に穴を開ける可能性はイーブン(対等)だ。

 

もういちどいうが人間の生と性の問題は切り離せない。

このことは私個人の人生の課題であり、日本社会の課題であると思う。

ネガティブな感情に支配されそうになったら理性と論理でねじふせろ!

私はたくさんの人がいる中に一人でいる事が苦手です。

たくさんの人々が会話している中にいる無言の自分。

今時のファッションに身を包み、社会に適応している「普通」の人たちの中に混ざり込んだ異物。

都会の街中にいくと押し寄せる人の波と声の波。波なのに引いてくれない。表現として好きではないが津波のよう。

こんなに人がいるなら自分一人いなくなったって何も問題ないな。自分一人いなくなったって何事もなかったように世界は回る。私の死を悲しんでくれるのはせいぜい親と数人の顔。私の葬式に来てくれる人なんているのだろうか。

すれ違うときに私に向けられる視線。きっと何も考えてなく反射的に前から歩いてくる人を一瞥しただけなのだろう。でも、私には「何あいつの髪型」、「気持ち悪」、「服ださ」と言っているように見える。

そうなると私の脳みそがキュと締め付けられるような感覚になり、喉が乾き、足が重くなる。

 

こうなった時は理性を持って論理、理論でねじふせる。

 

私が死んでも世界は回る。当然だ。でもじゃあいなくなる事で世界が回らなくなるような人間なんてそもそもそんなにいるのだろうか。アメリカ大統領が射殺されたって、次の大統領はすぐに決まるのだ。一人一人の人格の代わりはいないかもしれないが、役割の代わりのいない人間って一人でもいるだろうか。

死んだ後の葬式のことを考えたってしょうがない。死んだら自分の葬式をみることなんてない。誰が来ようが、誰も来なかろうが知ったことではない。

 

人が何を考えているかなんてわからない。口で「ありがとう」といいながら、「内心でふざけんなこの野郎」と思うことだって人間はできる。だから、人が心の中で何を考えているかなんて絶対本人以外の誰にもわからない。人の内心を推測したり、考えたりする方が無駄なのだ。実際には相手は何も思ってないかもしれないし、「何あいつの髪型」とおもっているかもしれない。しかし、どちらも「かもしれない」でしかなく可能性はイーブンである。

 

こうやって理詰めで自分の感情に対して反論するのだ。

 

そして、ブルーハーツを聞くのだ。

世界中に定められたどんな記念日なんかより

あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう

世界中に建てられてるどんな記念碑なんかより

あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう

『TRAIN-TRAIN』

作詞・作曲:真島昌利 編曲:THE BLUE HEARTS

 

役立たずと罵られ 最低と人に言われて

要領良く演技出来ず 愛想笑いもつくれない

 

死んじまえと罵られて このバカと人に言われて

うまい具合に世の中と やって行くことも出来ない

 

すべての僕のようなロクデナシのために

この星はグルグルと回る

劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない

誰かのサイズに合わせて 自分を変えることはない

自分を殺す事はない ありのままでいいじゃないか

『ロクデナシ』

作詞・作曲:真島昌利 編曲:THE BLUE HEARTS

 

うまくいかない時

死にたい時もある

世界のまん中で生きてゆくためには

生きるという事に 命をかけてみたい

歴史が始まる前

人はケダモノだった

『世界のまん中』

作詞・作曲:甲本ヒロト 編曲:THE BLUE HEARTS 

挙げたらキリがないし、もっといい曲がたくさんあるのでここまでにしよう。

 

私の人生の最終目標は、幸せになることだ。「普通」に合わせることが、社会に完璧に適応することが私の幸せとは限らない。お金がたくさんあることが幸せとは限らない。毎日ごはんを食べて、寝れて、クソ垂れてできる家とたくさんの本とがあって、人とのつながりが適度にあって。それが私の幸せだと思う。決して億万長者になる必要も、世界で代わりがいないと言われるような存在になることではない。

そうやって考えれば、たくさんの人ごみも大丈夫だ。

感情の波に押し流されそうになったらいつも、いつでもこの理論を思い出そう。