私が考える人の性質の順位

私が人の性質を考えるときに、人に好かれる性質の要素、観点が三つある。それは、優しさ、面白さ、真面目さである。

 

そして、それの優先順位は、優しさ、面白さ、真面目さの順だと思う。

ただ真面目なだけで、面白さや優しさがない人は人に好かれない気がする。

真面目さはかけていても、面白いでけでも人には好かれる。だから面白さは真面目さより順位が高い。

面白さもないし、真面目さもない奴けど優しい奴。いわゆるダメ男とかイメージするとなんかわかるけど。とにかく優しいやつってなんかそれだけで愛される気がする。ただ、面白いだけで、優しさがない奴は全ての人から好かれることはない。人をいじって笑いにするからだ。

真面目で優しい人は面白くても好かれるということもある。だからなんだか、少しじゃんけんのような関係のような気もするけど…

だから、私はなんだかこれを基準に大切にしていきたい。もちろん、全部もっているにこしたことはないのだけど。

私がいつも自分に聞ききたい、心を落ち着かせる三つの問

1.考えてどうにかなること?

過去の失敗について考えたり、将来の不安について考えることは実は考えてもしょうがない。

原因とは自分で勝手に決めることであるので、過去にあんなことをしていなければ今は…とか、あの時なんでこんなことしたんだろう…というのは本当にそれ原因であるかはわからないし、それが原因だと自分で思った途端に原因になるのだ。全ては自分の中の認識の問題でしかない。そして今のところタイムマシンは存在しない。相対性理論でも未来には行けても過去には戻れない。つまり、過去について考えたところで過去に戻ってやり直すということは絶対にできないのだから、考えるだけ無駄なのだ。過去の失敗については、次に同じことがあったときにはこうしようという改善策だけ立てて、それ以上は考えないのがいいのだ。反省だけして、引きづらない。反省と自己嫌悪は全くべつものであり、後者は無駄だ。

将来について考えるのは、大事だとされている。将来について考えてしっかり勉強しなさい、これをしなさい。未来はこうなるから今はこれをすべきだ。それはある意味では正しい。しかし、実際将来世界がどのようにあるかを完璧に予測することは不可能だ。明日、交通事故にあって死ぬかもしれないし、とっても素敵な人との出会いが偶然あるかもしれない。ある程度どのようになるかの推測は立てることができるが、未来がどうなるかはわからない。どうなるかについて考えるのは無駄だ。今やること、やるべきことに集中して、今を一生懸命生きて入れば未来は明るい。未来に対して完璧な予測をできないのに考え続けて不安になっていくのは意味がないし、考えてもしょうがない。

また、自分が他人にどう見られているか考えることも意味がない。なぜなら、テレパシーで相手の心の内が全部伝わってきたりしない限り、相手が本当に考えていることなんて本人以外には絶対にわからないからだ。人間は、感情と行動を別にできる。口ではなんでも言える。学校に生きたくないなぁと感情では思いながら、通学路を学校に向かって歩くという行動を行うことができる。だから外から見た時だけで相手が何を思っているかなんてわからない。ただ普通に学校に通っているように見える人も、本当は内心で通いたくないと思っているかもしれないのだ。それは外から見てもわからない。それは、周りの人間が自分をどういうふうに思っているかについても同じだ。だから、それを考えることに意味はない。

 

考えてもしょうがにないこと、考えてもどうしようもないことについては考えないのが賢いのだ。だから、いつも自分に問おう。それは考えてどうにかなること?と。

 

2.そう考えることって自分にとってメリットある?

自分のことを分析して、自分はバカだ。役に立たない。そう思うことはあるかもしれない。自分のことを客観的に見ることは大切だし、反省も大切だし、改善も大切だ。

しかし、自分の事を悪く思うということは果たして自分にとってメリットがあるのだろうか。もし、自分がバカだと思って生きるより、俺って天才!と思って生きるほうが自分にとって幸せに生きれるのならそう考えていたほうがいいのではないだろうか。(もちろん、それを外に口に出して言ったり、人を見下したりするのはいいことではないのだが…)

自分の無知・無能を知ることで向上心も生まれるし、自分を変えていけるのだが、それについて反省し改善していけるのならいいのだが、気分が落ち込んでうずくまってしまうだけの反省(それは自己嫌悪だが)なら意味はない。自分にとってメリットのある方に考えよう。

人が何を考えているか本当のところはわからないというのは上にも書いたし、考えてもしょうがないというのもある。しかし、それでも人から悪く思われてしまっているのではないかということについて考えてしまうときは、自分が人から悪く思われていると考えることで、人付き合いをさけてしまうのならそう考えることにメリットがあるのかを考えよう。(もちろん、相手がどう思っているかを考えないで自分勝手にしていい、優しさは持たなくていいということではないのだが、私みたいに考えすぎてしまう人はこう考えよう。)

だからいつも問おう。それをそう考えてしまうことに自分にとってメリットがあると?

デメリットがあるのならそう考えるのをやめてしまおう。

 

3.他人と比較することに意味あるの?

もちろん競争は成長にとってとても大切だ。だけど正直、私みたいなタイプには競争は向かない。周りを気にせず、自分で自分を高めていけばいいのだ。自分より凄いひとを見て劣等感を感じる必要はない。そういった人に負けないために、その人とは違う、自分の得意なことを伸ばしていけばいいのだ。

例えば、前は70点しか取れなかった模試で、80点取れるようになったらそれでいい。たとえ隣に95点を取っている人がいても落ち込む必要は全くない。自分が成長しているのだからそれでいい。これからも自分を高めていけば、きっと95点を取れる日もくるからだ。

学校で、テストの点数を比べることにも意味は全くないのだ。相対評価の時代ならともかく、絶対評価においては全く意味はない。クラスみんなが評価5だってありえる。たとえ平均点(平均はあくまで平均で中央値ではない)が60点だろうが、70点だろうが、それはある程度難しさを表すだけで、自分が100点を取れば間違いなく最高評定に近づくだろう。

受験も競争だという。確かにある程度定員が決まっていて、点数で競い合う。だけど、結局は自分が、そこに受かるだけの学力にまで自分を高められるかが重要なのであって、他人が何点取れるかは気にしてもそんなに意味があるだろうか。

しかも、競争って実は避けれる。誰もやっていないことを極めれば、そこで一位なんてことはいっぱいある。ギネス記録を見て欲しい。一体誰が他にこんなことに挑戦するのってことで世界一位な人がいっぱいいる。誰もやってないことをやれば競争なんてないのだ。(流石にギネス記録に対して失礼か…)

でも、比較することで気分を落ち込むならその考え方にメリットはない。心をストレスなく気持ちよく保ち、コツコツ自分のやることがいいのである。

私は人との比較は幸せになれないと思う。だから、いつも問おう。比較することは幸せ?意味があるのと。

SNSは魔物 私が思うSNSの嫌いなところと好きなところ

私は、SNSは使い方しだいであると思う。(何を当たり前のことを…)

そう、いつだって動画は使い方しだいだ。道具を使っているのか。道具に使われているのかわからなくなってしまってはダメだ。

しかし、意外と人間というのは道具に使われているのかもしれない。何もスマホやパソコンみたいな高度な道具になってから、人間が道具に使われているのではないかということではない。

例えば、筆を持って字を書こうという時に、人間はえんぴつとは違った動きを矯正されているという見方ができるのではないだろうか。このとき、人間は筆に使われているのかもしれない。

 

話が少し飛ぶかもしれないが、私の思うSNSの最大の嫌いなところは、それは自分よりも幸せな人生を送っている人の人生のモデルケースがたっっくさん見えてしまうことだ。私はものすごく落ち込んでしまう。(成功している人へのモデルケースへの嫉妬からか炎上なんてこともあるような気がする。それを見るとなんだか嫌な気分になる。)

ただ、実際にはSNSには自分の人生のいい部分を切り取って発信している部分が大いにあると思う。人間の承認欲求と見栄とそのた諸々の感情によって、自分のいい部分だけを見せる。SNSという道具の特性に使われている人間のすることが「インスタ映」みたいなことによーく表れているような気がしている。

いい人生をSNS上で演出して見せるために人間が行動するということだ。虚像を見せるために、承認を得るために。

もちろん、ありのままの自分をたくさん載せている人は、たっくさんいらっしゃるとは思うのだが…。この虚像の見せあいみたいなものがときたま嫌になるときがある。

 

SNSの嫌なところは書いたが、好きなところも書かなければなるまい。(この場合のSNSTwitterになるのだが、)私が思うのは、優秀な人間、有益な情報をつぶやく人間、高度なよくわからない人間、自分の興味のある好きなことをやる人間をフォローすることで、タイムラインが自分だけのカスタムメディアみたいにできることになることだと思う。またその人のリプライ蘭には当然反論や議論が起こっていて、自分とは反対の意見を知ることもできる。

これがとってもSNSの好きなところである。趣味垢と呼ばれるものを作ってネット上で趣味を共有して、仲間を作っている人もたくさんいるのもそれだろう。

 

SNSという道具は魔物だ。使い方しだいで気分を悪くするものから、良くするものに変化する。魔物との付き合い方は、慎重にいきたいものだ。

2017/9/25

今日は、大学の夏休み明け初日。

家を出て見上げた空の雲はどう考えても夏っぽく、暑さも全然秋らしさはなかった。

しかし、行きしの道でふと甘い香りがしたので気がついたが、金木犀がオレンジ色の小さな花を咲かせていた。私は金木犀が甘い匂いを漂わせながら咲いているのを見ると、桜で春を、紫陽花で梅雨を感じるように、秋を感じる。小さい秋み〜つけた。

久々にいった自分の大学の雰囲気がなんだか、「あれ?私の通う大学の雰囲気ってこんなんだっけ」という感じだった。それはともかく、やっぱり学校というものが苦手らしい。

帰りは、お世話になった社員さんが辞めるということで、かつてのバイト先によっていった。なぜだか小一時間ほどしゃべってしまった。もう辞めて一年近いのによくわからない。とっても貴重なバイト先だったんだなと改めて実感。

そして、家に帰ってからは、だらだらテレビを見ながらごはんを胃に詰め込み、すぐに学校へ久々に行った?いや、久々に外に出た疲労で布団で横になる。

少しして起きてから買ってきた漫画を読んだ「不滅のあなたへ」4巻。なんだかひどく悲しい気分になった。作者は、最近映画にもなった「聲の形」の作者らしい。

 

 

 

漫画は最近になって読むようになった。周りのみんなはなんで中高時代から漫画をたくさん買って読んでいるのだろう。私には好きな漫画を好きなだけ買う財力は中高時代にはなかった気がするのだが…。かといって私は何にお金を使っていたかは覚えていない。ろくでもない使い方をしてきたのだろう。

 

 

 

政治を少し変えるには…

政治を変えるにはまずやっぱり国民の役割、政治の監視をしなければなりません。

そして、やっぱりニュースや新聞などのメディア(媒体)を通すと誰かの見方、さらには切り取り方がやっぱり入ってきてしまいます。

学問研究などでもやっぱり、原典・原文にあたることは基本ですよね。

ではみなさん国会中継を観ましょう!!

インターネットでも、テレビでNHKでもを観ましょう。

国会中継の視聴率をバンバンあげましょう。国民はちゃんと政治を監視しているぞ!

それを国会の政治家に伝えましょう。そして、視聴率が取れれば、国民が国会中継を見るのば普通の状況になれば、スポンサーがついて、民法の夜のゴールデンタイムに国会中継の録画を流すようになったりなんかしちゃって…そんなこと絶対にないですね(笑)

でも、そのくらいのつもりで政治に興味ありまっせ〜ってやってかないといけないと思います。特に若い人が。どうせ年寄りの有権者の数と、若者の有権者の数がちがうんだから投票しても若者向けの政策をする人に票をいれても通らないじゃないかとなってはおしまいです。

18歳選挙が行われるときに給付型の奨学金の設置をマニュフェストに掲げた政党がありました。私はそれだけでも、選挙権の年齢を引き下げた意味があったなぁなんて思いました。だって、若者に、これから大学にいく高校三年生たちが投票権を得たってだけで、政党は票取りのために若者向けの政策もうちだしたのです。

でも、これに対して若者の投票率が低くては意味をなしません。

若者層が政治に興味があることさえ示せば、少しは若者を意識した政策がでるかも知りません。

さらには、国民が政治に関心がありまっせ〜と示せば、真に国民によりそった政策じゃないと政権はうちだせないな…となるかも知れません。

どの政党もなぁ… どうせ投票してもなぁ… 何か変わるのかなぁ…

そう思って、ニヒリズムに浸って、何もしなければ何も変わりません。

セカイがつまらないのではありません。セカイに対して、積極的に、主体的に関わらなければ、セカイはつまらなくなるのです。

何かから私も始めたいと思います。

Perfume替え歌

ふとした瞬間に私は思いつきました。頭の中をPerfumeの「ポリリズム」が頭の中に流れた時に、「繰り返す このポリリズム」の「ポリリズム」を「テロリズム」に置き換えたらとても深いのではないかと。(めっちゃ浅い発想)

検索したらすでに似たことを考えている人がいた。

bokete.jp

…でも私はつっぱしろうかなと思います。

 

とても大事な キミの想い(宗教)は

無駄にならない 世界は廻る

ほんの少しの 僕の気持ち(平和)も

巡り巡るよ

 

くり返す このテロリズム

あの衝動は まるで故意だね

くり返す いつか見たいな

あの光景が 甦るの

くり返す このテロリズム

あの反動が うそみたいだね

くり返す このポリループ

あぁドラスティック みなたいな故意だ

またくりかえす このテロリズム このテロリズム

 

くり返す このテロリズム このテロループ

 

ほんの少しの 僕の気持ち(平和)が

キミに伝わる そう信じてる

とても大事な 君の想い(宗教)は

無駄にならない 世界廻る

ほんの少しの 僕の(平和の)気持ちも

巡り巡るよ

 

くり返す このテロリズム

あの衝動は まるで故意だね

くり返す いつかみたいな

あの感動が 甦るの

くり返す このテロリズム

あの反動が うそみたいだね

くり返す テロループ

あぁドラスティック みたいな故意だね

またくり返す テロリズム

 

⇩参考

http://j-lyric.net/artist/a04cc66/l00b508.html

 

う〜ん。色々なところから怒られそう。

 

 

 

 

勉強の意義

私は、昔からなぜ勉強しなければならないかについて考えることは重要だと思っていた。そして、私は父親からの影響から、いい大学に行けば、将来の職業の選択肢が広がるからと考えて来た。勉強は将来稼ぐため、自分のためと。

私を壊した私立高校も大学によって生涯年収が違うというデータを示し、いわゆるMARCH(M=明治、A=青山、R=立教、C=中央、H=法政)の大学以上にいかなければならないと力説した。

勉強しないと大変だ。将来どうするんだ。そういった脅しの理論で周りの大人は勉強を強いた。

でも、人間自分のためだけに努力するには限界があるし、続かないし、それでは幸せにはなれないのだ。

そして、手遅れなことに大学に入ってからなぜ勉強しなければならないのかがわかった。

私の出会った素敵な大人は、真剣で、真面目にこうはっきりと言ってのけた。

「勉強するのは誰かの役に立つ人間になるためです」

私はもっと若いうちにこういう大人に出会いたかった。そしてこのことをとっくの昔に説いている人がいた。それはかつてブログに書いたように福沢諭吉だ。

bluewakame.hatenablog.com

生活のためにお金は必要だ。だから仕事が必要で学歴があったほうがいい。あるにこしたことはない。

でもそれだけではダメなのだ。

働くとはお金を稼ぐ行為であると同時にそれは社会貢献の一環でもあるのだ。働きながら人の役に立っているという実感を得られればそれは幸せだ。

そして、そんな仕事は長く続けられるのだろう。

そんなことを考えた1日であった。