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「氷菓」米澤穂信

[目次]

1.前置き

2.米澤穂信さんの作風

3.『氷菓』について

4.あらすじ

5.あらすじを受けて…

6.この作品の私の好きなところ(薔薇色と灰色)

7.この作品の私の好きなところ(千反田と奉太郎の関係)

 

1.前書き

私が最初の記事に選んだのは、米澤穂信さんの『氷菓』です。

何故、最初の記事にこの『氷菓』という本を選んだかというと…私は、米澤穂信さんの作品が好きであり、『氷菓』は米澤穂信さんの第一作だからです!

だからなんだ!それとどう関係あるんだ!という話ですよね…

要するに米澤穂信さんの第一作についての記事を、私のブログ記事第一号とさせていただいたと…それだけのことです(笑)

なにぶん文章も下手ですし、こういったことを書くのにも慣れていないので、ネタバレ的なことをしないように作品の魅力を伝えられるか分かりませんが、どうか最後まで読んでいただければ幸いです。(まずこのブログ読んでいる人いるのでしょうか…)

 

※出典や事実確認が曖昧です。 全く参考にはしないでください。

ド素人への指摘やご指導いただければ幸いです。

 

2.米澤穂信さんの作風

氷菓』についての前に少しだけ、米澤穂信さんの作風について書かせてください。

まず、米澤穂信さんは推理小説・ミステリー作家という分類にはなると思います。

ちなみに私は、ミステリーについては詳しくないです…ごめんなさい。でも、そんな私でも楽しめるのは、米澤作品の魅力あってこそだと思います。)

 米澤穂信さんの作品は、全体を通して、事件の解決はしてもハッピーエンドはほぼないといっていいと思います。

バットエンドはあまり好きではないという人も多いかと思います。私自身もフィクションの世界ぐらい楽しくハッピーなものがいいなぁと思います。

しかし、米澤穂信さんの作品のバットエンド(?)は、そんな私でもとても好きです。

あとに苦味(時に鈍痛のような衝撃)を引くような物語の締め方が、その余韻が米澤穂信さんの作品の魅力となっています。

ミステリー作品ってなんとなく推理メインで冷静な主人公っていう(私の勝手な偏見・)イメージがあるのですが、米澤穂信さんの作品は、謎を解いていく過程でも解決した時でもすごく細かな心情の変化があって、とても普通の小説的だなと思います。

単に事件が解決して犯人の犯行の理由や心情がわかるだけではなく、解決した側にも何か残していく感じかあります。

 また、米澤穂信さんの作品は、大きく二つの作風に分けることができると思います。

一つは、『日常の謎』と呼ばれるジャンルの作風です。『氷菓』もこの作風の作品です。

日常の謎』とは、もしかしたら初めて聞いたんだけど…という人もいるかと思われますが、これは、ミステリー作品に多い殺人事件などではなく、日常生活などにあるちょっとした謎を解くというミステリーのジャンル(のはず…)です。(説明したけど…まんまといえば、まんまですかね…)こちらの作風は、思春期、青春をテーマにしていて若い主人公が多い傾向にあると思います。

もう一つは、本格ミステリと言われる作品。王道的なミステリーとでもいうのでしょうか。ガチガチの推理というのでしょうか…私の中では定義が曖昧ですが、要は『日常の謎』とは対照的に物騒な事件、殺人事件おこる普通の人が推理小説とかミステリー小説といって思いつくような内容のものです。

 

この二つの作風の作品があるからこそ、米澤穂信さんの作品は、ミステリーに親しみのない人からミステリー好き、また、若い人からそうでない人まで、幅広い人におすすめできます!

 

 

3.『氷菓』について

まず、ここまで読んでくれた方…ありがとうございます!!(たぶん、まず誰も読んでないだろうな)やっと本題に入らせていただきます。

氷菓』は2001年11月に角川スニーカー文庫から刊行されました。つまり、実はライトノベルのレーベルとして刊行された作品なんです。のちに普通の角川文庫の扱いになったようです。

氷菓』は、この記事を書いている現在でも続く、<古典部シリーズ>の第1作目であり、2012年には有名な京都アニメーションの制作(<古典部シリーズ>の第4作目までと第6作目の一部(雑誌掲載分)の内容)でアニメ化しているにも関わらず、どうやらシリーズ第2作目(「愚者のエンドロール」)とともに最初はあまり売れ行きは芳しくなかったようです。どうやらライトノベルというものが今ほどではなく、表紙の絵なども児童向けのような感じだったのもあるらしいです。

アニメが結構人気を博したので今では、有名な作品かもしれないですね。聖地巡礼という奴も流行ったらしく、アニメの舞台となり、米澤穂信さんの地元でもある飛騨高山への経済効果は計り知れないとかとか…

さらには、最近では実写化の発表もありました。

ただ、ライトノベルとミステリーの未来性を感じていた米澤穂信さんはすごいと思います。また、あらすじだけをまとめるとかなりライトノベルの先をいっていると私は思います。(私ライトノベルをそんなに読まないんですけどね…)

 

 

4.あらすじ

そこそこの進学校である神山高校に進学した主人公・折木奉太郎。彼は、姉がかつて所属していて、現在廃部の危機にある古典部への入部を姉に願い(命令?)される。部員のいないはずの古典部の部室に行くとそこには、地元の名家(豪農)の娘・千反田えるが入部していた。彼女は、好奇心の亡者であり、気になりだすと止まらない。折木は『やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に』をモットーとする『省エネ主義』を掲げているのだが、千反田に巻き込まれて、ちょっとした日常の謎を解いていかなければいけなくなっていく…

そんな中、古典部には先輩がいないために、活動目的がいまいちわからない。どうやら文化祭に文集を出すことは伝統であるらしいとだけは分かり、文集制作に取り掛かることに。しかし、その文集には隠された歴史が…どうやら千反田が古典部に入部した理由にも関係があるらしい…太郎は文集の謎を解くことに…

 

 

5.あらすじを受けて…

と、まぁ…あらすじはこんな感じかと思うのですが、ある意図を持ってまとめてみますと…

(あらすじなのにまとまってねぇし、なげぇよ。これ作文であらすじで原稿用紙埋めるやつだよ)

やる気のない老成した「やれやれ」とか言いそうな主人公が、活発なヒロインに巻き込まれて、活動目的不明の部活動で過ごし、学校・高校生活に変化が…そして謎が明かされていく…

あれ?なんかライトノベルにありがちなテンプレ的な設定っていうか、なんなら同じ京都アニメーション制作でアニメ化した『涼宮ハルヒの憂鬱』と似てね?って思った方いませんか?

でも待ってください。涼宮ハルヒの憂鬱』の刊行は2013年。一方、『氷菓』は2001年刊行なんです!! (だからどうした!)

アニメ化は涼宮ハルヒの憂鬱』が先なのでなんとなく『氷菓』が後から出てきたみたいに思ってしまわれている人の誤解を解きたかっただけです。

もちろん涼宮ハルヒの憂鬱』が『氷菓』の影響を受けているか、と言われればそうとも思わないです。『氷菓』にはSF要素とかでてこないですし、『氷菓』はなんとなく動きが少なく静的な感じです。話し合いの部分とか多いですしね。

一方で『涼宮ハルヒの憂鬱』の方が、動的でアニメ的、漫画的なストーリーだと思います。私は、『涼宮ハルヒの憂鬱』はアニメしか見てませんが…すみません…)

ただ、今にしてみれば『氷菓』がやっていることは先見性があるなと思うのです。そこが評価されてもいいのではと思っているのです。(くだらないダジャレですみません…)

他にも、アニメで割と流行った?流行っている?いわゆる「日常系」に近いものも持っていて、そこも先見性があったのではと思うのですよ、本当に…

 

 

6.この作品の私の好きなところ(薔薇色と灰色)

主人公の奉太郎は、高校生活・青春を薔薇色だとすると、自分は灰色だと感じているところがなんとなく高校生活を全肯定してなくて、少しリアリティがあっていいなと私は思います。実際、高校生活が、それこそライトノベルやアニメにでてくるように楽しいものじゃないじゃないですか…たぶん…まぁ私がいわゆるリア充じゃないからなんでしょうけど…

ただうまくいえないのですが、薔薇色=リア充、灰色=非リア充といって簡単にあらわしたくないような微妙な淡いを描いている気がするんです。そこがまた堪らなく好きです。

そして、その感じがすごくうまく表されているのは、『氷菓』では2箇所あると思います。

一つ目は、図書館で文集のバックナンバーを探しに行き、そこであるちょっとした謎を解き終わったところでのシーン。千反田や、おちゃらけ情報家的な福部里志(説明雑すぎんやろ)、幼馴染毒舌ロリっ子図書委員・伊原摩耶花 (これまた怒られそう…)たちが謎の解決で楽しい雰囲気の中、少し引いたところで、自分はこいつらとは違うなぁといった感じで一人立ち去ろうとする奉太郎。ここが共感ポイントでした。

私は基本的には、アニメよりも原作の方が好きですが、ここはアニメの方が好きでした。

別に全員仲の悪くない人たちだし、一対一の時は全然普通によくしゃべるんだけど、何人かで集まるといつも自分と仲の悪くない人よりも、もう一人の仲悪くない人とその人の方が盛り上がっている。そんな感じわかる気がしませんか?

わかりづらいですね…。奉太郎と里志はよくしゃべるし仲がいい。奉太郎と摩耶花は憎まれ口叩かれたりするけど長い付き合いで、ある程度は気心が知れている。でも、奉太郎と里志摩耶花が集まってしゃべったとき、里志と摩耶花の方が仲が良くよくしゃべり、奉太郎はそんなにしゃべらず線を引いたとこにいる状況になる感じ。

もちろんこれは男女の仲、里志と摩耶花の仲に限らず、摩耶花と千反田の場合でも奉太郎は同じ状況に置かれる。単に親密度の違いで起こる何かではなく、決定的に違う何かを感じる。このシーンだって、摩耶花と千反田は、同性同士とはいえ、会って間もないのに普通にうちとけ盛り上がれる。自分にはそんな活力がない。

なんとなくみんなと居るのに一人でいる時よりいっそう孤独というか、疎外感というか、どこか遠くにいる気がする。うまくその輪にはいってないきがする。おそらくそう思っているのは自分だけかもしれないのに、自分とこの人たちとは絶対的に自分とは決定的に違う人たちなんだという気がしてくる。そんなことありませんか?

私は、そういうのをとてもうまくこのシーンはあらわして、そうこれだよなこれという感じがして好きです。

 

二つ目は、文庫のp.176~180の里志と奉太郎の やりとりがもう最高です。全部引用するわけにもいかないのでぜひ読んで欲しい。簡単にいえば、薔薇色への憧れがありつつも自分には無理とわかっていることをはっきりと改めて自覚するシーンですかね。私は何かすごく共感しました。

 

7.この作品の私の好きなところ(千反田と奉太郎の関係

この二人のというか奉太郎から千反田に対する感情が主にだと思うのですが、好きなのかどうなのか?どうなんだろ…の具合が絶妙だと思います。千反田の顔が近い感じに対しての反応とか。結局、第四作目まではっきりしないぐらいの感じがよかったです。まぁ、時系列で言えば間あいだに入っていたことにはなるのですが…(第三作で伊原に指摘されていますが、自覚的じゃないので違うかなと思いました。)

そして、千反田は奉太郎への信頼がとてもいいなと思います。

ただその点においては、映像化だから分かりやすくする必要はあったのだと思うのですが、これらの表現が露骨すぎて少しだけ残念でした。千反田側から奉太郎側への気持ちの表現が過剰でした。アニメはアニメで二人を見ていてほっこりしましたがね。

 

 

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

 

 

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