THE BLUE HEARTSと仏教

●まえがき

私(筆者)は、THE BLUE HEARTS世代ではないですし、詳しくないです。

また、仏教についても詳しくないですし、とくにどの宗教についてもそれほど信じていません。(内容は鵜呑みにしないで自分で調べてみてください。)

ただ、仏教の考え方は好きです。これも私が日本という国に生まれ育った影響も大きのでしょうが… 

宗教って昔の法律的役割もしてそうじゃないですか…(こんなこといったらいろんな人に怒られそうだな…)さらには、道徳とかを盛り込んである。仏教なんか東洋哲学として勉強される方々がいらっしゃるそうじゃないですか。

そういった色々な思考としてみると面白いですよね。

ただ、それは思想の自由に守られているわけで、自分たちの宗教が、思想の自由に守られている以上、他の宗教の思想の自由を侵害する権利もないと思うので、他の宗教を否定する行為は基本的にはなしだと私は、思います。

科学を絶対に正しいと信じて疑わないのもある種「科学教」という宗教かもしれません。だって科学的に説明できないことってまだたくさんありますしね。霊的ものを信仰する人に対して科学的に証明できないからそんなものあるはずないっていうのと、科学で証明できないものは霊的パワーで説明できるっていうのって実は一緒ようなものだったりしませんかね?(笑)

 てなワケで私の思考を否定する権利は誰も持たない!!!なんちって(笑)

反対意見は歓迎です。コメント欄にどうぞ。

 

●無常観

永遠なのか本当か時の流れは続くのか

いつまで経っても変わらないそんな物あるだろうか

見てきた物や聞いた事いままで覚えた全部

でたらめだったら面白い

情熱の薔薇 作詞・作曲:甲本ヒロト 編曲:THE BLUE HEARTS

これ、明らかに、無常(感ではないから注意といえませんかね?無常観とは、世の中に永遠のものなど存在せず常に移り変わっていくという仏教の思想・観法の中の一つですよね。(たぶん)(真理は永遠だとすれば間違ってるのかな)

 

有名なのは、

祗園精舎の鐘の、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

平家物語 作者未詳(信濃前司行長かも?) 13世紀半ば?

ですかね。暗唱させられたりして、これが無常観なんだよ〜的なことを習った人は多いのではないでしょうか。どうせ全部滅んでしまうんだといったネガティブに捉えられがちですが、実際はそれだけじゃないようです。(あとは自分で調べてね)

そして、この歌詞で面白いのは、「見てきた事や聞いた事いままで覚えた全部でたらめだったら面白い」だと思います。

常識ってやつは、「その時代に生きた、その場の多数派の人間が決めるもの」です。だって、現代の日本で平安貴族たちの常識が通用するかっていったらそりゃあ、通じないですよね。(同じ現代でも国が違えば常識は違います。)

常識に限らず法律もその時代によって違います。墾田永年私財法は現代で活きていません。

さらには、教科書に載っている歴史上の事実が今と昔では変わってしまうなんてこともあります。鎌倉時代の成立が「いい国つくろう(1192年)」から、「いい箱つくろう(1185年)(いい箱ってなんだよ (笑) )」になったりする。(他の説もありますね確か。)新しい歴史的発見によってどんどん変わります。

常識も法律も史実もすべて時代によって変わってしまうんです。もしかしたら「全部でたらめ」かもしれません。

科学だって怪しいですよね。化学調味料があとから発がん性物質だったみたいなこともあったりするかもしれません。コーヒーとかも人体にいいのか悪いのかは、論文が発表される度に右往左往しますもんね。

さらに、もう一曲紹介します。

台風が来る 景色が変わる

台風が来る 記録破りだ

気象衛星「ひまわり」でさえ

観測すらもできないやつだ

古い大木も倒され

根こそぎ飛ばされてしまう

台風 作詞・作曲:真島昌利 編曲:THE BLUE HEARTS

無常観を考えたあとに、この歌詞を見ると考えさせられないでしょうか。「台風」という大きな変革があって「景色」(常識、法律、史実)が「変わる」。「気象衛星」という科学ですら捉えられない。「古い大木」(古い常識、法律、史実)もまるまる無くなってしまう。世の中に移り変わらないものはない。そんなことを言っているようにもとれます。

 

●無常な世界で変わらないもの

確かなものは欲望だけさ

100パーセントの確率なのさ

死んだら地獄に落として欲しい

どこへ行くのか どこへ行くのか

首つり台から 作詞・作曲:甲本ヒロト 編曲:THE BLUE HEARTS

 無情な世界で確かなもの。それは今も昔も「欲望」です。

仏教で極楽浄土に行くためにはこの「欲望」(煩悩・執着・絆し)を捨てなければならない。(たぶん)

そして、欲望を捨てきれずに現世でたくさんの罪を犯した人間は犯した罪に応じた地獄に落ちる。そう地獄には、ものすごい数の種類があるのです。細かく分けたものを数えるとその数なんと272地獄。

だから、「死んだら地獄におとして欲しい」と言いながら、「どこへ行くのか」と言っているのです。どこって地獄じゃないの?ということではなく。地獄の「どこへ行くのか」ということなのでしょう。(妄想でしかない。まぁ、歌詞解釈なんてそんなもんか)

 

●人生は夢?

幻なんかじゃない 人生は夢じゃない

 

夕暮れ 作詞・作曲:甲本ヒロト 編曲:THE BLUE HEARTS

hasunoha.jp

仏教ではこの世の無常の儚さを夢の如しという表現が見られます。

これを踏まえた上でもう一曲見てみましょう。

限られた時間のなかで

借りものの時間のなかで

本物の夢を見るんだ

本物の夢を見るんだ

 

夢 作詞・作曲:真島昌利 編曲:THE BLUE HEARTS

 

●悟り

覚えたり 教えられたり

勉強するんじゃなくて

ある日突然 ピンときて だんだんわかることがある

 

歩く花 作詞・作曲:甲本ヒロト 編曲:THE BLUE HEARTS

これは悟りを開くということに聞こえませんかね?

 

このようにTHE BLUE HEARTSの歌の中には、無理やり解釈すれば、仏教的な考えを感じさせる歌詞がたくさんあります!(?)どうでしょうか?