今さらながら『学問のすゝめ』を読んで

先見性の凄さ

まず初めの感想としては…福沢諭吉すげぇ、そりゃ壱万円札になるわぁ(笑)

何がすごいと思ったのか、それはこの前17編の文章が明治5年(1872年)〜明治9年(1876年)の間に書かれたということです。なんせこの本に書かれていることの本質は、現代でも通用してしまうと思えることばかりです。もちろん、文章とは、その時代の影響を逃れることは不可能であり当時にしか通用しない部分もあるでしょう。しかし、優れた文章(≒思想)は時空を超える効力を持つと思います。

『学問のすゝめ』第初編の書かれた1872年と言えば、1867年の大政奉還により江戸幕府から明治政府に変わってから5年であり、3年前までは戊辰戦争があり、1年前には廃藩置県が行われ、太陰太陽暦(旧暦)から太陽歴(グレゴリオ暦)に変わった年である。

いわば、江戸から明治へと日本が諸外国の近代文明に追いつこうと必死になって、国の整備を行っているまさにその初めのころである。

そんな時代に、現代でも通じるような近代文明のあるべき姿を人々に説いている。

中には、男女の不平等のおかしさをも説いている。今現在の日本でもまだ完全には是正されていないことであり、それをこの時代に書いている福沢諭吉の凄さが窺える。

 今さら『学問のすゝめ』を読んだキッカケ

なぜ、私がこの本を今さら読もうと思ったか。それは、

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり

 

福沢諭吉『学問のすゝめ』初編、明治5年2月出版

この、福沢諭吉と言えば「天は人の上に人を造らず」という、あまりにも有名なセリフが一人歩きしており、(引用した部分だけでもわかる通り、)福沢諭吉の意図するのとは違ったニュアンスで世の中に広がっているということを知ったからだ。

(私は、西尾維新さんの『化物語』のアニメで確か触れられていて知りました。) 

下線を引いた部分にあるように「と言えり。」とあるように、福沢諭吉は、一般的な言説としてこのように言うが、といった引用の形でこの言葉を使っているのだ。(アメリカ独立宣言の引用と言われているようです。)

上の文にこのように続く。

されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。 

 

同上略

ここまで読めばわかりますよね。私なりに解釈して要約すると、「平等なんていうけれど実際の世界には貧富の差があるのは明らかで、じゃあなんでその差が出てしまうのかと言えば、それは勉強するかしないかの差によるものだよ。(だから勉強しなさい)」というのが福沢諭吉の言いたいことではないのだろうか。

もちろん、福沢諭吉は人間の生まれ持った「権理通義」(≒権利だと思われる)は同等だとも言っている。だから、男女の平等などの発想もしっかり持っている。それを拡大して、人の集まりである国も同等であり、西洋諸国と日本が同等であるともいっている。

福沢諭吉の学ぶ・学問とは

福沢諭吉が学ぶと言っているのは、何も経済学とか天文学のような学問ことをだけでなく、見聞、知識を広くして、物事の通りをしり、人の職分を知ることだという。それをするための道具として、文字の読み書きが大事であるという。その他、福沢諭吉のいう「実学」としている。

さらには、江戸時代からの身分に関する悪い風俗を嘆いている。四民平等になった今でも権力のあるものに、幕府に対するように政府に只々恐れをなして、絶対服従の態度を取ることの悪さを指摘し、学ばない愚民の上には酷い政府しかないことを説いている。

愚民にならないために、一人一人が国や法の仕組みを学び、自分を制して独立することが、国の独立につながりると説いている。そのためには、政府に頼りきりではなく、公だけではなく、私から独立していかなければならず、そのために慶應義塾をつくという旨も書いている。

この福沢諭吉の作った慶應義塾が、今では私立大学のトップといっていいところに位置していることは驚きだ。しかし、慶応大学生は、全員『学問のすゝめ』は読んでいるのだろうか。私、気になります。(笑)米澤穂信古典部シリーズ登場人物・千反田えるの決め台詞より引用)

職分

職分という言葉は度々登場し色々論じられているが私が気になったのはこんな文章だ。

然るに半解半知の飛揚がりものが、名分は無用と聞きて早く既にその職分を忘れ、人民の地位に居て政府の法を破り、政府の命をもって人民の産業に手を出し、兵隊が政を議して自ら師(いくさ)を起こし、文官が腕の力に負けて武官の指図に任ずる等のことあらば、これこそ国の大乱ならん。自主自由のなま嚙りにて無政無法の騒動なるべし。名分と職分とは文字こそ相似たれ、その趣意は全く別物なり。学者これを誤り認むることなかれ。

『学問のすゝめ』十一編、明治七年七月出版

この文章が明治七年に書かれている。この後、日本が統帥大権と軍部大臣現役武官制を利用した軍部の暴走により戦争へと向かっていくのを福沢諭吉が見ていたら一体なんといっただろうか。

『脱亜論』日清戦争については、色々議論があるので私にもわかりません。ただ、この『学問のすゝめ』を書いた人間がなぜそのようになったのか疑問ではあります。

西洋を手放しで喜んで取り入れるのは間違っている

東西の人民、風俗を別にし情意を殊にし、数千百年の久しき、各々その国土に行われたる習慣は、仮令(たと)い利害の未だ詳らかならざるものにおいてをや。これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸くその性質を明らかにして取捨を判断せざるべからず。然るに近日世上の有様を見るに、苟も中人以上の改革者流、或いは開化先生と称する輩は、口を開けば西洋文明の美を称し、一人これを唱うれば万人これに和し、凡そ智識道徳の教えよりは治国、経済、衣食住の細事に至るまでも悉皆西洋の風を慕うてこれに倣わんとせざるものなし。或いは未だ西洋の事情につきその一斑をも知らざる者にても、只管(ひたすら)旧物を廃棄してただ新をこれ求むるものの如し。

この後には、少しユーモアを含んだ面白い例を挙げて面白く説明している。

もちろん、福沢諭吉も科学など、西洋のものが優れていることも十分すぎるほどに知っていたに違いないが、単純に受け入れるのを嫌っている。社会全体が文明開化、西洋に追いつこうとするこの時代に、西洋でもダメなところ、日本の良いところにも目を向けて、こういったことを書けるというのは、ただ者ではないと思う。

その他諸々

噂を信じず直接話し合おう。人との関わりを絶ってはいけない。日本語で演説をまずできるようになることがまず大事だとのことも言っている。

最後に

この文章は私なりに解釈したもので、そう大きくズレたことは書いてないと思いたいですが、やはり本当は皆さんが実際に読んでもらうのが一番だと思います。

文章自体は、多少漢文がわかれば、読みやすいと思います。漢文なんてなんの役に立つんだと思う高校生は、高校生当時の私を含め、たくさんいると思いますが、私は人生で漢文が役立つことは、昔の書物の内容を理解するためだと思います。この本のために漢文を学ぶのもありなんじゃないかと思える内容でした。この内容は、勉強なんてなんのためになるのという学生全員に読んで欲しい内容となってます。

ここまで褒める方向のことばかり書いたような気もしますが、福沢諭吉のこの文章は確かにわかりやすく、的確で面白い例えも素晴らしく、いい文章だと思いますが(何から目線だよえらそうに…)、過激な部分もあります。努力勤勉は当たり前、さらなる高みを目指さなければ的な厳しいなぁという意見もあります。それでもやはり読んでみたらいい本だと思いました。

 

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福沢諭吉 学問のすすめ

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私が読んだのは岩波文庫のものです。

 

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

 

 

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