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私の脳は壊れているのだろうか

 

脳が壊れた (新潮新書)

脳が壊れた (新潮新書)

 

 

発達障害の妻を持ち、社会からこぼれ落ちた人を取材するルポライターである著者。著者が41歳の時に脳梗塞で倒れ、後遺症として高次機能障害になってしまった。それは、後天的発達症がと言ってもいい状況であり、 妻や今まで取材してきた社会からこぼれ落ちた人たちが抱えていたことを本当の意味で理解することになった。当事者感覚の言語化に努めている。また、リハビリによる回復の過程は発達の追体験とも言える。

私がこの本の中で共感したのは、精神疾患やそれに近い状況にある人が高次機能障害の一部の症状のような状況になるのではないかということだ。

本書の中で思い当たるものがいくつかある。

私がうつ病と診断されてから、一応もう大丈夫ではないかと言われるまでの期間(以降、「私の精神不安定期」)。(実際には精神病ではなかったと今では思っているが。)私は、音楽を聞いては涙し、アニメを見ても涙をながし、ちょっとしたことで枕を濡らした。本書の中では「感情失禁」と書かれている。

さらには、私も「私の精神不安定期」には本が読めなかった。一行目を通して読む。頭の中で文字が音声として読み上げられる。しかし、意味が全く入ってこない。流れていく。ムーディ勝山状態。そして、ノートを取ることができなかった。集中力が著しく欠如していた。また、あの時期にとった言動は今の自分からすると一体なぜあんなことをしたのか意味がわからない。冷静な判断は全くできていなかっただろう。

嫌な記憶がたくさんフラッシュバックのように脳に思い出された。記憶の時系列がよくわからなくなった。

他にも節々に共感する点が多かった。特に次の部分が私には響いてしまった。

子ども時代の僕が、同級生が当たり前のようにやれることがやれず、みんなが興味を持つものに興味が持てず、自分でも異様に思うような癇癪持ちで、強い孤独とコンプレックスに苛まれていたこと。中学生ぐらいまでは、そんな自身に知的な障害があるのではないかと真剣に悩んでいたこと。そんな僕にとって、僕とは対極にあるハイスペック男子の代表が父だったこと。偉そうなことを言ったけど学校からドロップアウトして誰の言うことも聞かず頑なに我が道を突き進んだ理由が、「進学と企業就職」の道では自分がまるで使い物にならないことを早々に自覚しての自己防衛だったこと。

P215,P216

私は、昔から人と明らかにズレていた。中学時代はいきなりキレて人に暴力を振るったりした。私は、高校時代自分が発達障害ではないかと疑った。著者のようにすごい進学校にいったわけではなかったが、親からの圧を勝手に感じ私立の自称進学校に通い、潰れた。

私が、本が好きな大きな理由の一つに、「あぁ、自分だけじゃないんだこの感覚は」というのがある。自分だけでないという事実は私を安心させる。心が軽くなる。本著は私にとってそんな本の一つだった。

 

私がこの本をネットでたまたま知って読んでみようと思ったのは、発達障害に対しての興味があるからだった。読んでみて思ったのは、感性の高い順に自閉症>その他の発達障害>私のようなタイプ>定型発達ないし、息苦しさをあまり感じない方々なのではないかと傲慢にも思った。

 

内容的に暗い本なのかと思うかもしれないが全くそんなことはない。この著者の文章は悲壮感はなく、どことなく明るさが漂う。

そして、私の中の新書のイメージとも文体がちょっと違った。まぁ、私はそんなに新書を読んだことがないからだろうか。

 

脳が壊れた (新潮新書)

脳が壊れた (新潮新書)

 

 

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