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この記事を書いてる人ってこんな人

白か黒かがわからない変な人

私は小、中、高、大と関わりを持った人から変だと言われてきた。

周りからすると何事もないように見えるようだが、明らかに人とズレていた。

普通の人が普通にできることが、普通の人が普通に分かることがわからない。

特に人間関係だ。

私は白黒はっきりつかないと分からないのだ。

世の中には良い人か悪い人、白か黒か、それがハッキリしないと理解できないのだ。そこには灰色や白と黒のまだら模様は存在しない。

当然すぎる話なのだが、人にはそれぞれ良いところもあれば悪いところもあるのだ。

自分に対してとても親切にしてくれて、とても優しく面倒を見てくれる人(以降Aさん)がいたとして、その人(Aさん)が自分以外の他の人の悪口や暴言を吐いていたとする。

私の頭はもうエラーがでた機械のようになる。

その時、私の頭ではこうなっている。

実際は、Aさんは白地に黒い点がポツポツある程度なのだ。(基本的には良い人で、ところどころ悪いところがある。)

しかし、私の残念な頭は白か黒かでないと認識できない。だから、Aさんが悪口や暴言を言い出した時、私はほんの少しのAさんの黒い部分を顕微鏡のように拡大し、画面いっぱいを黒にして、黒として認識するしかない。

しかし、そうすると普段白であるAさんが、その瞬間は黒になるのである。白いはずのAさんが黒色なのだ。

もう意味がわからない。矛盾しているではないか。

こんな残念な頭だから、大抵の人は黒にしかならない。ずっと白な人は少ない。人間なんか嫌いだとなる。

そして自分自身に対するジャッジも当然、黒だ。自分のことなんか大嫌いだ。

他人も信用できない。Aさんが他人の悪口を陰で言うのだから、自分も陰で悪く言われているに違いない。こうなって来ると人間不信だ。

しかし、悪口というのは、その場の人間でその場にいない人間の悪口を言ってその場の結束力を高めるみたいなところがある。

だけど私は、自分が黒になってしまうから人の悪口は嫌いだ。人の悪口にはあまり同調できない。そうすると、周りからは八方美人扱いされ、いい子ぶりっことなる。人とは関係を築くのが難しい。

私の人間関係が難しい理由は他にもいっぱいあって、例えば多くの人が興味のあるものに興味がない。笑いのツボがズレている。自分では何が面白いのかわからないが笑われてしまう。数えればキリがない。

 発達障害に興味を持つ。だが違う。

そんな中、私は高校の時にアスペルガー症候群という存在を知った。

発達障害の一種で対人関係に問題を感じるらしい。

大変興味がわいた。先にいってしまうが結論として、私は発達障害ではなかった。発達障害の診断をしていただける機関で知能テスト(田中ビネー知能検査)を受けて違うとの診断がでた。

でも発達障害の人の症状であてはまることは多い気がする。注意欠落と過集中なども感じなくもない。

精神疾患でもない。

私は、精神的に追い詰められていた高校時代にうつ病と診断された。

精神病の多くの人が複数の機関を受診するように2つだけだが精神科の病院を訪れてどちらでもうつ病との診断を受けた。結果的に抗うつ薬も服用したが、服用したことでむしろ調子が悪くなったので結局はうつ病ではなかったようだ。

その後、少し調子がよくなって、予備校にかよったがまた調子が悪くなり、今度はカウンセリングを受けた。そこで話をしたのは主に対人関係についてだったので、対人恐怖症との診断を受けた。また、普通の人になじむための方法を少し習った。

人の話をニコニコ笑顔で相槌をうって聞くこと。自分がどういう人と人間関係を築けばいいのか築きたいのかを考えることなどなど…

そして実は話が前後したが、アスペルガー症候群を知ったのは高校時代で、うつ病と診断される前で、私が発達障害かどうかの診断を受けたのはこのカウンセリングの後だ。

発達障害の診断された機関では、発達障害とは言えないのだが、カウンセリングと同様に人との関わり方についての指導をいただいた。人との付き合い方について論理的に教えてくれる人は、今まで誰一人としていなかった。なんでなんだろうとも思ったし、普通の人は教わらなくても自然にわかってできることなんだろうなとも思った。

発達障害でも精神疾患でもなければじゃあ私は一体…

私の生き苦しさの原因はなんなのだろう。発達障害のせいでもなければ、精神疾患のせいでもない。じゃあ、私の努力が足りないせいなのだろうか。今まで人生でちゃんと年相応の経験を積んでこなかったからだろうか。人が普通に感覚でわかることをいちいち論理で誰かに説明してもらわないとわからないのは私がバカだからなのだろうか。

何の理由もなければツラすぎる。だから、私は勝手に自分のことを「マイナス感情の大きい人」「発達障害と普通の人ととのグレーゾーン」とすることにした。(言ってしまえばただの情緒不安定な人でしかない。)

感情の大きい人

私は、感情が大きい。それはとても自分の心では制御できないほどに大きい。いつでも感情の洪水と戦っている。正確には戦うすべもなく流されている。

気分が落ち込むと体のあらゆるところに不調をきたす。

お腹を下すのは基本。

気分が重くなれば体も重くなる。自分の周りだけ急に重力が大きくなったような体の重さが襲う。特に背中は、筋肉が凝っているような、神経痛のような、痛いというには大げさだが明らかに調子が悪くなる。

ストレスを急激に感じる場面では異様な汗をかく。しかもその汗をかいたときは独特の嫌な匂いが自分からするのを感じ取れる。体が暑くなり、全身の毛穴がいたんでいるのかなんなのか、細く小さな無数の針で刺されたようなチクチクとした痛みが襲う。

胃や心臓のあたりが痛くなる。

横になって呼吸をするのがやっとのような感じがしてくる。

頭が痛む。頭がボーとする。耳鳴りのようなキーンという音が頭の中で鳴っている。

人のしゃべっている声がたくさんある中で一人でいるとと息が詰まる。日本語が外国語のように聞こえてくる。調子が悪いと人の話しているマイナスな言葉が全部自分に向けられて発せられているような感覚を受ける。自分の知り合いが、聞こえるはずのない距離で友達としゃべっていても、それが自分のことを悪く言い合い、嘲笑しているように見え出す。一番ひどかった時だと内容が聞こえてきた。あれは幻聴だったのだろうか。未だにわからない。

過去の記憶に囚われ、時間が止まる。

気分が落ちこんでくると過去にあった嫌なことを芋ずりしきに思い出していく。本当に調子が悪い時は、映像つきで思い出すようなところもある。これは正確にはフラッシュバックというものではないのだろうが、説明するならフラッシュバックというしかないのだろう。

人は記憶を思い出し、それを追体験し、その時の感情が思い起こされている時は、その人はその時間を生きているといっていいと思う。震災や大切な人の死を経験した人などが、その記憶から逃れがたく、私の中ではあの日から時間が止まっているというのもそういうことであると思う。

一緒にするには次元が低くて申し訳ないが、高校時代の私もそうだった。中学時代、高校受験の頃の記憶に心は支配され、時間が止まっていた。いつもあの頃にこうしていればということに取り憑かれ、過去の中の時間を過ごし続け、現在を生きていなかった。高校時代は私にとって、とてもツラく苦しかった。あの当時は、このツラさが永遠に続くように感じられ、高校の3年間という時間も果てしないように感じられた。しかし、大学受験の迫るスピードだけはとても早く感じられた。そして、高校時代も振り返ってみるとツラく苦しかったという記憶はあるのだが細部がぼやけてはっきりしない。高校の三年間だけぽっかりと空白が空いたような感覚に今では襲われる。それは、過去にとらわれ、現在を生きていない時間であったからだと思う。または、嫌すぎる記憶は思い出せないように無意識で蓋をしているのかもしれない。

私が本が好きな理由〜本は心を軽くする〜

私が本が好きな理由は心を軽くしてくれるという一点に尽きると思う。

楽しい物語の世界は、嫌な現実を忘れられる。忘れさせてくれる。文章を読むことに集中できれば、他のことは考えられないし、考えなくて済む。

そして、本を読んでいると、優れた感性を持ち、かつ、それを言語化することができるほどの知能と文章能力のある人たちが「あぁ、この感覚は自分だけじゃないんだ」と思える文章を書いてくれている。

また、自分には今までなかった新しい発想・考え方を文章を通して教えてくれ、心を軽くしてくれる。自分が今まで思い込んできた偏見を解きほぐしてくれ、認知の歪みが消えていく。

 

私の心を軽くする本、自分だけじゃないと思える本。

 

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