生と性

AV女優の紗倉まなさんという方がAVを題材にした小説を書いた本がいいというので読んでみようと思って本屋に買いに行った。

 

最低。

最低。

 

 小説を書くのが上手だなぁと思いつつ、このひとはなぜAVという仕事についたのだろうと思った。

実は、書店に行った時にたまたま目に入って一緒に買った本がある。

 

AV出演を強要された彼女たち (ちくま新書1225)

AV出演を強要された彼女たち (ちくま新書1225)

 

 もちろん、すべての人が騙されて強制的に出ているわけでもないとの前提に立っている。でも、強制的にやらされたと同じような人がいる。これは負の側面だ。さらに、自分から応募した人でも思っていた内容や事前に言われた内容ではないことを断ることができない状況に追いやって、本人の意思と違うことをやらせるのも強姦と変わりない。

 

私は薄情な人間なので、出演することになってしまったのは、最初のAさんの事例以外は本人も悪いところはあるのではないかと思った。(これだとCさんに接した警察官と同じになってしまうのだろうか。)ただ、そういった人が救われなくていいと思ってはいない。こういった業界が成り立ってしまっているのは男の欲望でしかない。男として生きる私が無関心でいていい問題ではない。

 

紗倉まなさんの小説はこの新書の内容と符号している気がした。紗倉まなさんは天職だとし自分から望んでこの業界に入ったと色々なメディアで言っているようだが、小説を読んで受けた印象は、嫌々やっているのではないかということだった。それとも、この小説から読み取ることは別なのだろうか。

 

性とは「りっしんべん」に「生きる」つまり「心」+「生きる」である。人間の生と性の問題はは切り離せない。性的な営みからしか人は生まれてこない。

その性を売り物にすることはずいぶんと昔からやられてきた。需要は人類の歴史的に普遍的にある。映画もインターネットも初期の普及にはアダルト向けの性的なコンテンツの力もあったりする。

そして、往々にして性を売るのは女性だ。

男女平等と性差は別にして考えるべきだと思う。もちろん、職業が性別(男と女という二つの言葉で性別を切り取りのも限界がきていると思うが)によって差別されてはいけない。

(申し訳ないが、今回は身体的特徴が男性で性自認が男性の人を男、身体的特徴が女性で性自認が女性の人を女として話をさせてもらいます。)

しかし、身体的な特徴は仕方がない。一般的に、多くの場合は、男性の方が筋肉量が多い。だから、男性が重い荷物は持つものだ。これは、男女不平等ではなく性差だ。男女平等を認めつつ、性差は認めることが大事だ。私は、身体的特徴が性を売るのは女性の側にしていると思う。

この性差を考えた時に、この性差の性で起こることに無関心ではいられない。

 

女性の社会進出が遅れ、企業が女性の待遇を悪くするのもこの性差によるものだと思う。なぜなら、女性は出産と妊娠という仕事を休まなければいけない時期がくる可能性があるからだ。そうなると企業は男性を優先してとってしまう。単純に仕事に穴をあける人とそうでない人だったらどちらを採るかという話だ。

そして、それは女性の体しか子供を産まないという性差によるものである。

だから、私は子供の生まれた家庭の男性の育児休暇を義務化したらいいのではないかと思う。そうすれば、仕事に穴を開ける可能性はイーブン(対等)だ。

 

もういちどいうが人間の生と性の問題は切り離せない。

このことは私個人の人生の課題であり、日本社会の課題であると思う。

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