私がいつも自分に聞ききたい、心を落ち着かせる三つの問

1.考えてどうにかなること?

過去の失敗について考えたり、将来の不安について考えることは実は考えてもしょうがない。

原因とは自分で勝手に決めることであるので、過去にあんなことをしていなければ今は…とか、あの時なんでこんなことしたんだろう…というのは本当にそれ原因であるかはわからないし、それが原因だと自分で思った途端に原因になるのだ。全ては自分の中の認識の問題でしかない。そして今のところタイムマシンは存在しない。相対性理論でも未来には行けても過去には戻れない。つまり、過去について考えたところで過去に戻ってやり直すということは絶対にできないのだから、考えるだけ無駄なのだ。過去の失敗については、次に同じことがあったときにはこうしようという改善策だけ立てて、それ以上は考えないのがいいのだ。反省だけして、引きづらない。反省と自己嫌悪は全くべつものであり、後者は無駄だ。

将来について考えるのは、大事だとされている。将来について考えてしっかり勉強しなさい、これをしなさい。未来はこうなるから今はこれをすべきだ。それはある意味では正しい。しかし、実際将来世界がどのようにあるかを完璧に予測することは不可能だ。明日、交通事故にあって死ぬかもしれないし、とっても素敵な人との出会いが偶然あるかもしれない。ある程度どのようになるかの推測は立てることができるが、未来がどうなるかはわからない。どうなるかについて考えるのは無駄だ。今やること、やるべきことに集中して、今を一生懸命生きて入れば未来は明るい。未来に対して完璧な予測をできないのに考え続けて不安になっていくのは意味がないし、考えてもしょうがない。

また、自分が他人にどう見られているか考えることも意味がない。なぜなら、テレパシーで相手の心の内が全部伝わってきたりしない限り、相手が本当に考えていることなんて本人以外には絶対にわからないからだ。人間は、感情と行動を別にできる。口ではなんでも言える。学校に生きたくないなぁと感情では思いながら、通学路を学校に向かって歩くという行動を行うことができる。だから外から見た時だけで相手が何を思っているかなんてわからない。ただ普通に学校に通っているように見える人も、本当は内心で通いたくないと思っているかもしれないのだ。それは外から見てもわからない。それは、周りの人間が自分をどういうふうに思っているかについても同じだ。だから、それを考えることに意味はない。

 

考えてもしょうがにないこと、考えてもどうしようもないことについては考えないのが賢いのだ。だから、いつも自分に問おう。それは考えてどうにかなること?と。

 

2.そう考えることって自分にとってメリットある?

自分のことを分析して、自分はバカだ。役に立たない。そう思うことはあるかもしれない。自分のことを客観的に見ることは大切だし、反省も大切だし、改善も大切だ。

しかし、自分の事を悪く思うということは果たして自分にとってメリットがあるのだろうか。もし、自分がバカだと思って生きるより、俺って天才!と思って生きるほうが自分にとって幸せに生きれるのならそう考えていたほうがいいのではないだろうか。(もちろん、それを外に口に出して言ったり、人を見下したりするのはいいことではないのだが…)

自分の無知・無能を知ることで向上心も生まれるし、自分を変えていけるのだが、それについて反省し改善していけるのならいいのだが、気分が落ち込んでうずくまってしまうだけの反省(それは自己嫌悪だが)なら意味はない。自分にとってメリットのある方に考えよう。

人が何を考えているか本当のところはわからないというのは上にも書いたし、考えてもしょうがないというのもある。しかし、それでも人から悪く思われてしまっているのではないかということについて考えてしまうときは、自分が人から悪く思われていると考えることで、人付き合いをさけてしまうのならそう考えることにメリットがあるのかを考えよう。(もちろん、相手がどう思っているかを考えないで自分勝手にしていい、優しさは持たなくていいということではないのだが、私みたいに考えすぎてしまう人はこう考えよう。)

だからいつも問おう。それをそう考えてしまうことに自分にとってメリットがあると?

デメリットがあるのならそう考えるのをやめてしまおう。

 

3.他人と比較することに意味あるの?

もちろん競争は成長にとってとても大切だ。だけど正直、私みたいなタイプには競争は向かない。周りを気にせず、自分で自分を高めていけばいいのだ。自分より凄いひとを見て劣等感を感じる必要はない。そういった人に負けないために、その人とは違う、自分の得意なことを伸ばしていけばいいのだ。

例えば、前は70点しか取れなかった模試で、80点取れるようになったらそれでいい。たとえ隣に95点を取っている人がいても落ち込む必要は全くない。自分が成長しているのだからそれでいい。これからも自分を高めていけば、きっと95点を取れる日もくるからだ。

学校で、テストの点数を比べることにも意味は全くないのだ。相対評価の時代ならともかく、絶対評価においては全く意味はない。クラスみんなが評価5だってありえる。たとえ平均点(平均はあくまで平均で中央値ではない)が60点だろうが、70点だろうが、それはある程度難しさを表すだけで、自分が100点を取れば間違いなく最高評定に近づくだろう。

受験も競争だという。確かにある程度定員が決まっていて、点数で競い合う。だけど、結局は自分が、そこに受かるだけの学力にまで自分を高められるかが重要なのであって、他人が何点取れるかは気にしてもそんなに意味があるだろうか。

しかも、競争って実は避けれる。誰もやっていないことを極めれば、そこで一位なんてことはいっぱいある。ギネス記録を見て欲しい。一体誰が他にこんなことに挑戦するのってことで世界一位な人がいっぱいいる。誰もやってないことをやれば競争なんてないのだ。(流石にギネス記録に対して失礼か…)

でも、比較することで気分を落ち込むならその考え方にメリットはない。心をストレスなく気持ちよく保ち、コツコツと自分のやるべきことに一生懸命取り組むことがいいのである。

私は人との比較は幸せになれないと思う。だから、いつも問おう。比較することは幸せ?意味があるのと。